Homeschooling
ホームスクーリングにご関心を持ってくださり、とてもうれしく思っています。 心から感謝申し上げます! 今日、教育への様々な問題が表面化してきています。 しかし、解決法と希望があります。聖書です。 聖書には、子育ての秘訣と解決法が書かれています。 ホームスクーリングは、聖書に基づき、親が責任者となり、子どもたち一人ひとりにとって最善の教育環境を整えていくことができます。 聖書は、学校任せではなく、親が第一義の責任者として、子どものために時間とエネルギーと愛情を注ぎ、犠牲を払うことを教えます。 「あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも」(申命記6:7)、言わば24時間、親が「子どもたちによく教え込みなさい」(6:7)と命じています。 この「教育の原点」とも言える聖書の命令に、親が「はい」と応じ、祖父母や友人、教師、多くの人々の助けや協力をいただきながら子どもたちを育んでいくことがホームスクーリングです。 親の愛と聖書に根差した、究極の「個別対応」であり、カリキュラムも指導者も親によって厳選される意味で、「王家の教育方法」とも言われます。
親が「教育義務」を果たしていく権利は本来、憲法や世界人権宣言で保障されている基本的人権です。 2016年12月に公布された「教育機会確保法」でも、「多様な学習活動の重要性を鑑みる」といった文言が3ケ所書き込まれ、日本でのホームスクーリングを後押しする、法的な環境整備も進んでいます。
ホームスクーリングは1980年代、欧米を中心に拡がり、アメリカでは300万人もの子どもたちが取り組み、教育の一翼を担っています。 日本でも全国的なサポート団体としてチア・にっぽんが2000年に立ち上がり、約2000家族のメンバー・サポーターのもとで、子どもたちは育まれています。 既に弁護士、医師、教師・保育士、牧師、TV局記者、公認会計士、航空整備士、美容師、国際ボランティア、専業主婦ほか、国際社会への貢献を目指す様々な子どもたちが育ち、活躍しています。
Question about Homeschooling
聖書は教えます。
教育・子育ての第一の命令は、親自身の在り方を問うことから始まります。 親が、謙遜に神の前に立ち、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。 …これらのことばを、あなたの心に刻みなさい」(申命記6:4,5)というみことばの実践と模範を示すことが第一に命じられています。
第二のポイントは、「子どもたちへの教え方」です。 「よく教え込みなさい」(6:7)です。原語をたどれば、これは「繰り返し、繰り返し教えなさい」ということです。 神を愛し、恐れることは、1回や100回の教えで大丈夫ということではなく、何百回、何千回と「繰り返し」教え込むことが必要ということです。
これは、今、うまくいってないと思っている親御さんへの希望のメッセージでもあります。 聖書は、いかに人間が簡単に神を忘れ、失敗を繰り返すか、人間の失敗の本質とその歴史を記しているとも言えます。 しかし、愛と忍耐に満ちた神さまが、いかに助けの手を伸べ続けているか、その真髄も書かれています。
イスラエルの民族は、神に愛され、祝福されながらも、傲慢になり、神を忘れ、恐れなくなり、そして失敗しました。 その結果の絶望や苦しみ、裁きのさなかでも、神は愛と忍耐、恵みとあわれみに満ちた手を差し伸べ続けました。 そして全人類のためにキリストが十字架の上で身代わりとなって死に、すべての人間の罪を赦し、一人ひとりがその愛を受け取り、キリストの十字架と死を信じれば、救われ、地獄ではなく、天国に向かい、永遠の命を神と共に生きるとのメッセージを「繰り返し、繰り返し」、子どもに教え続けます。
天使のようなかわいい子どもも、大人同様に忘れやすく、完璧ではなく、一度教えられても、何度も失敗する未熟な本質を持っています。 それゆえ、子どもたちが何度失敗しても、あきらめずに、親が繰り返し、繰り返し「よく教え込みなさい」(4:7)と聖書は命じます。
3番目の子育てのポイントとして、具体的に「いつ、どこで、どのように教育するか」、いわば教育のノウハウが教えられています。
これを現代社会の一般的なスケジュール――朝7時30分ごろに家を出て、3時ごろ帰宅、あるいは部活や塾に行き、夜7時ごろから夕食を食べてTVを観て、宿題をやらせて、10時すぎには「早く寝なさい」と寝かせて――という流れでは、24時間、教え込むことはできません。 様々な教育をめぐる問題が起きている現代社会では、子どもたちの心も、神から離れていっています。
アメリカ南部バプテスト教会の弁護士チームの調査では、大学に進学した90%あまりの子どもたちが、神との関係を失って戻ってきたとの調査結果もあります。
1980年代、聖書はどのような子育てを勧めているかという研究が進む中で、親が責任者となる「ホームスクーリング」が教えられていることが再発見され、それ以降、世界に広がっていきます。
ちなみに、この申命記6章の教えは、聖書の中心聖句の一つであり、のちにイエス・キリストが聖書の中で、最も大切な命令は何かと問われた時に、引用した聖句でもあります。
また、一般科目と聖書は、別世界で教えられるものではなく、本来、すべての学科の中に創造主を見出しながら教えていくことが教育の原点です。
どの瞬間も、机上で学習していても、親子で散歩したり、食事をしたり、映画を見たり、スポーツや音楽を楽しんだり、ボランティアや手伝いを教えたりしていても、すべてに聖書や神の教え(あるいは聖書に反する教え)が含まれていることを教え、吟味・洞察する力を養い、神と聖書、親とのきずなを深めながら、24時間、教育していくこと。 それがホームスクーリングでは、実践可能となります。
「ホームスクーリングの理念はわかったけど、“社会性”はどうなるのだろう?集団生活はできるのだろうか…」という質問が、まだ日本では多いです。 ホームスクーリングの良い評価が定着し、社会性がよく育つことが認識されているアメリカでは、ほとんど聞かれなくなりました。 ホームスクーリングが日本でも拡がってきた背景には、「真の社会性が育つ」という実が、この20年で実際に育ってきたためでもあります。
各議員・関係者からよく聞かれた質問 (チア・マガジン43号P115より)
社会性とは
F議員:社会性は大丈夫でしょうか。 稲葉:ホームスクーリングは、これこそ真の社会性が育まれる!と言われています。そのため、欧米、ロシア、台湾……そして日本でも着実に拡がっています。親は、「社会性の実」を実感して、踏み出すケースがほとんどです。
社会性を育てるには2つのポイントが重要です。 まずは、健全な自己の形成です。 「あなたは愛されているんだよ。神にも親にも愛され、あなたにしかできない使命をもって生かされているんだよ」と、繰り返し教えられる必要があります。 算数や音楽ができようとできまいと、足が速かろうと遅かろうと、「わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い(イザヤ43:4)」と言われている通り、無条件で愛されており、使命がある。 そのことを子どもたちが自覚していることです。
2番目は、健全な対人関係として、全ての人を愛し、敬う姿勢です。 「すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい」(第一ペテロ2:17)と聖書にある通り、人々に愛と敬意をもって接し、助け、励ましていこうとすることです。
ホームスクーリングでは、この2点を、親が「お説教」ではなく、自分の模範という身をもって教えることができます。 時間を共に過ごし、自己犠牲を払いながら教えていくので、親のメッセージは子どもたちの心に届きます。 「お母さんは、家をきれいにしたり、友達と会ったりしたいのだけど、それをしないで、自分のために時間とエネルギーを費やし、本気で愛してくれている」「お父さんは、仕事が忙しいのだけど、家族のことを第一に考え、支えてくれている」――それが実感できる日々なので、親の愛もメッセージも子どもたちに伝わります。 愛され、使命を持ち、他者に敬意を持つ。勤勉、従順、誠実に、正直に……と、繰り返し教えていくことで、人格の基盤ができていきます。 もちろん、完全ではないにしても、どこへ行っても喜ばれる子どもたち、豊かな社会性を備えた子どもたちが育まれていきます。
また、ホームスクーリングは授業の編成が自由なため、様々なボランティア活動・学術・スポーツ・芸術活動などを選択し、積極的に展開しやすくなります。 さらに、同年齢だけでなく、違った年齢層の人々と交わる時間も増え、より実社会に近い形でのコミュニケーション能力が発達し、独立心や積極性が育ちます。 友達と一緒でなければ何もできないという友達依存性は少なくなります。 アメリカの歴代大統領のうち、ワシントン、リンカーン、ルーズベルトら7人、医療伝道のシュバイツァー博士、鉄鋼王のカーネギー、プロ野球のスタンリッジ投手(元ソフトバンク・阪神・ロッテ)らがホームスクーリング出身者です。
A 神と親に愛されていることを確信させる(健全な自己のイメージ)
B 全ての人を敬い、キリストを分かち合う(健全な他者への思い)
まとめ: 岩の上に建て上げる
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」といった言葉が、流行った時代がありました。 ホームスクーリングは逆です。何が善か、何が悪か、善悪を基準に教えます。 もし聖書と照らし合わせて悪であれば、たとえ、1万人が悪に進み、自分ひとりになっても、善の方向に神に祈りながら進む、そのようなキリストにある自己、強い自己を確立した子どもが育ちます。
子どもが学んでいる姿は、それだけで、私たち親の心をメロメロにします。しかし聖書は、誰が教師か、何を学んでいるのか、気を付ける必要があると警告します。
子どもたちは、友人からの影響も良きにつけ、悪しきにつけ、受けていきます。友達の数が多ければ多いほど良い、との親の気持ちもあるかもしれませんが、聖書は「友」の影響についても警告します。
ホームスクーリングのメリットとして、親も関わりながら、友人関係を育んでいくことができます。子どもたちがティーンになっても、親は日頃、一緒に時間を過ごし、子どもの気持ちが分かりやすい環境にあるため、友人からの良い影響にも、悪い影響にも気づきやすく、対応ができます。
もちろん、どの友人も完璧ではありません。愛を持って、許し励まし接していくことや、キリストの福音を伝えていくことを励ますこともできます。
肝心なことは、無防備に子どもと友達だけの世界を作らせず、親も共に関わりながら接していくことです。聖書は健全な友人関係を築くように警告し、教えています。そして、この分野においても、親子の絆、コミュニケーションが深く育まれるホームスクーリングは優位性を発揮しています。
―親が微分・積分が分からずとも、子どもは努力し、分かるようになる―
研究数の多い、アメリカの事例ですが、アメリカのセンター試験(SATほか)等での偏差値は、ホームスクーラーのほうが一般の学校の子どもたちより20%ほど高いという結果が出ています。(HSLDA調査 参考資料:スコット・ソマービル弁護士「伸びるホームスクーリング」チア・マガジン34号掲載。論文全文はこちらへ)
日本でも高認を取得後、いわゆる難関大学等を目指すホームスクーラーたちもいて、様々な大学、専門学校、留学等に進んでいます(進路状況はこちら)。
興味深い研究データとしては、親の学歴(中卒、高卒、大学卒)で比較した場合、ホームスクーラーたちの偏差値は、ほぼ同じという調査結果が出ている点です。 親が教職課程を経て、教員免許を持っている場合は、若干、高い偏差値が出ています。 それは、教える賜物があるとか、訓練を受けている要素等が考えられます。
では、なぜ親の学歴が違っても、ホームスクーラーたちの偏差値の差はほとんどなく、高いのでしょうか。 要因の一つとしては、ホームスクーラーは自学自習が定着し、分からないところは、分かる人に聞くという学習スタイルが自然となっている点があります。 10人~40人といった集団教育の場合は、先生が教壇に立ち、「さあ始めましょう」という指示のもとに学習をしていくという、受け身的な学習法が一般的であると思います。
ホームスクーリングはそれとは根本的に異なり、いわば、大学生、大学院生スタイルの自学自習が、幼い時から普通の勉強スタイルとなります。 もちろん低学年の頃やホームスクーリングの初期段階では、母親が手取り足取り教える必要もあります。 しかし、ホームスクーリングに慣れてくると、基本は自学自習に移行していきます。 まず、自分で教科書、参考書、問題集を解き、参考書等を読んでも分からないポイントがあれば、母親に聞き、もし母親が分からなければ、「お父さんが帰ってきたら、お父さんに聞こう」となります。
お父さんが分からなければ、「この分野に詳しいAさんに聞こう」とか、「図書館やインターネットで調べよう」ということになります。 ひたすら暗記中心ということではなく、どのように勉強し、分からない時はどうするか、そのような本来の学習法を小さい時から自然と身に着けていくことができます。
また動機付けも特徴があります。 「神さまはみんなに特別な使命を与えているよ。その使命と能力を発見するのが勉強だよ。神さまに知恵と力を求めながら進んでいこう!」といった方法で、勉強の目的を確認しつつ、親が励まし続けることができます。 また、やる気を失いかけているときに、親がそばで寄り添い、一緒に問題を解いたり、励ましたりできます。
社会性の項目でも触れましたが、「算数ができるできない、音楽やスポーツが得意不得意、背が高い、低い…」といった違いにまったく関わらず、神さまは無条件に全員の子どもたちに素晴らしい能力とその可能性を与えられています。 勉強への努力を重ねることで、親はその発見と成長を促すことができます。それも、ただ口で教えるだけではなく、親が多くの時間やエネルギーを犠牲にし、心を注ぎ込んで、寄り添うので、その愛とサポートは子どもたちの心に届きやすくなります。 また集団教育ではないので、画一化教育を避け、分かる時にはどんどん進み、分からない時には、前の学年に戻ってスタートする等、その子どものニーズに合わせてカリキュラムを組み、励ますことができます。
全国的な勉強塾を主宰されているある先生が、喜びの発言をされました。 「画一化を避け、分かる段階まで戻って教えるメリットはその通りです。私どもも、その効果を体験しています。でも、今回、分かったことは、動機付けと、親が寄り添うことの重要性です。私どもの方法でも効果はありますが、分かる段階まで戻ることでプライドが傷ついたり、劣等感を抱いたり、難しいケースもあり、逆にできる子は、プライドが高くなり、高慢になっていくデメリットを感じたりもします。神に無条件に愛され、賜物発見のための勉強ということで励まし、祈って勉強に向かう、また、それを繰り返し行っていくことが動機付けにつながるという点は、本当に合点が行くし、そこが大きな違い、ホームスクーリングのメリットだと思いました」
競争の機会が少ないという点は、マイナスとなる時もあります。 でもそれは子どもたちの心に、健全な土台ができていれば、時至った時に、競争の経験を積み重ねることができます。
受験対策においても、将来設計のもとに、親も計画性をもって、焦らず、時に外部の助け手や模試等も用いながら、進めることができます。
全国のセミナー会場で、「私(親)とは一緒に勉強したくないと言われます」といった相談を受けることが、時にあります。 そのような質問をされる方は、子ども時代に比較的、成績が良く、難関校を突破された方々が多いと感じます。一方、子ども時代に成績は中位、下位だった親御さんは、子どもとの学習を楽しまれている方々が多い傾向を感じました。
なぜかというと、かつて成績が良かった親御さんは、「どうしてこんな問題ができないの?」といら立ちやすい傾向がありがちと思いました。 ホームスクーリングを志す親御さんは、「他人と比較しない」という視点は、しっかり持っていらっしゃる方が多いと思いますが、素晴らしい成績だった自分の過去や経験とは比較してしまう部分が盲点となっているケースがあるようです。
そうした親の焦りや落胆は、子どもの心にも伝わりやすく、子どもが一層、萎縮し、できることもできなくなっていきます。 そうした姿は、さらに親をいら立たせ、最後には、思わずひどい言葉を言って傷つけてしまったとか、ポカリとやってしまった等の相談を伺うことも少なくありません。 こうした場合、多くの子どもは「お母さん、お父さんとだけは、勉強したくない!」と宣言するに至ってしまうのです。
一方、子ども時代、成績が中位、下位だった皆さんは、その「成果」が大いに用いられやすいです。 子どもたちが、「問題が分からない」「やる気が出ない」と言うと、「そうだよねー、その気持ちよく分かる」「お母さんも、お父さんも、そうだったからねー」「焦らないでやろうか。お母さん(お父さん)も、そばで一緒にやるから」と共感するところから始まるので、子どもの不安や緊張感も解けます。 子どもは、怒られたりしないので、ほっとしますし、親も伴走してくれるとの安心感の中で、気持ちもリフレッシュし、勉強にもやる気が出て、楽しく臨めるケースが多いようです。
昔、成績が良かった親御さんは、ほかの子どもだけではなく、「自分の過去」とも比較せず、焦らず、まだ発展途上の子どもの可能性を見続けてあげることが肝心だと思います。 怒りやすいお父さん、お母さんは、怒らない心を神さまに求める必要があります。 子どもはカップラーメンのごとく、すぐにできるとか、天才児に豹変するわけではありません。 保護者ご自身の忍耐力と、成長した未来の子どもの姿を信じる信仰力を祈り求め、3歩進んで2歩下がる、でもあきらめずに前進する姿勢を続けていかれればと思います。
親は、まず、自分の子どものネガティブ面に目を向けがちです。 「喜び学習法」は、子どもが今、興味を持ち、喜んでやっている科目や分野、得意意識を持っている分野をさらに進ませ、自信を持たせる教育法です。 そこを伸ばし、子どもの心の土台が形成された段階で、苦手な科目、分野等に少しずつ取り組ませていきます。
そのためには、フレキシブルなカリキュラム・時間割や、個別対応が必要になります。ホームスクーリングの場合は、その究極の個別対応ができるわけです。 それゆえ、ホームスクーリングは親の愛と聖書に根差し、一人ひとりの子どもへの最善の教育環境を提供する「王家の教育方法」とも言われます。
子どもの心は、一歩一歩強くされ、学習の喜びも深められ、そのうちに苦手分野も克服していく土台と方法を築くことができます。 さらに人格面でも、良い効果をもたらしていきます。 そのあたりが、学習面はもちろん、人格面、人間力においても、ホームスクーラーが優位であるという結果も生じるわけです。
―親自身が悔い改め、成長するムーブメント―
ホームスクーリングは、親が完璧だから行うものではありません。 それならば、誰一人できないでしょう。 親が子どもの成長を願い、最善の教育環境の整備を目指し、真摯に取り組むのであれば、踏み出せます。 神さまは、できないことをやれとは命じられません。もちろん、その歩みには失敗があり、悔い改めが必要な場面もあるでしょう。 学習も必要でしょう。そのためにも、チア・にっぽんではチア・コンベンション、白馬セミナーといった学習の機会を提供しています。チア・マガジン等では、国内外の最新のホームスクーリング情報や教育の秘訣等、情報収集ができます。
また悔いた心、求める心を神さまは決して蔑まれないし、その真摯な心を祝福されます。そうした実体験を積み重ね、世界でも日本でもホームスクーリングは拡がってきました。ホームスクーリングは、親自身が悔い改め、成長するムーブメントでもあります。
A:悔いた心はさげすまれない
B: 聖霊の知恵に満たされ,歩む
C:忍耐
―高学年になってからダッシュした方が伸びる―
低学年の段階では楽しく、聖書、国語(漢字・読み聞かせ等)・算数(四則計算等)・英語(聴く・話す)・体育(球技、走ること、各運動等)・音楽(ピアノなど楽器等)等を中心に学習し、りか・社会は教育TVなども有効活用して、広く楽しく勉強していきます。高学年になって理解力が成長し、苦手意識も少なくなった段階で、すべての学科、また算数の高度なレベルに取り組んだ方が、効果的であるとのレポートがあります。
ポイントは、焦らず、親子関係、神さまとの関係、低年齢でやっておくべきことほか、大事なことを優先し、長期的な視点から、完璧主義にならず、日々、なすべきことをしていく学習法です。
―江戸時代まではホームスクーリングが基本―
ホームスクーリングは新しい教育方法ではありません。 18世紀までは、いわゆる学校制度はありませんでした。 日本でも江戸時代までは、藩校や寺子屋があったとはいえ、それはごくわずかな子どもたちが通う場所であり、基本的には、武士の子は武士の親が、農家の子は農家の親や祖父母が教えていました。 つまり、ホームスクーリングが基本でした。
明治時代以降の法制度においても、ホームスクーリングは、教育の方法として、位置付けられていました。 昭和16年までは、「家庭またはその他において教育できる」(小学校令第三十六条)と、法律でホームスクーリングもチャーチスクールも明確に保障されてきたわけです。 昭和16年以降、治安維持法、国民学校令発布後、この条項は削除され、現在にいたります。
すべての子どもたちへの「教育義務」は「就学義務」と訳されて、学校という建物にいくことが、子どもたちへの教育の義務が果たされていることなのだと解釈されてきました。
―それぞれのコーリングに聞き従う―
基本的人権(11条)、個人の尊重(13条)、思想、及び良心の自由(19条)、信教の自由(20条)、学問の自由(23条)、教育を受ける権利(26条)
2017年2月には、「教育機会確保法」が施行され、「多様な学習活動の重要性を鑑みる」との文言が3ケ所、明記され、日本でのホームスクーリング環境整備が法的な面からも進み、保障・確保されることとなりました。
・アメリカで勝ち取られた権利「ホームスクーリング推進ウィーク法の制定」(全米50州での合法化、2000年10月実施)
・欧米ではドイツを除き、合法
第1条、第10条を始め、ホームスクーリングの理念と重なります。
第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
第10条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する
昭和16年まで
合格すれば、国公私立大学の受験、専門学校ほかへの進学において、高校卒業と同等の資格と見なされ、公務員採用試験等においても、高卒と同等の有資格者として受験できる権利が保障されています。
詳細はこちら(文部科学省HPへのリンク)
2017年2月には、「教育機会確保法」が施行され、「多様な教育の重要性を鑑みる」との文言が3ケ所、明記され、日本でのホームスクーリング環境整備が法的な面からも進み、保障・確保されることとなりました。
詳細はこちら(文部科学省HPへのリンク)
―ホームスクーリングマインド:週2時間から始めるチャーチ&ホームスクーリング―